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INTERVIEWインタビュー
離れてわかる地元の魅力 NATIVE INTERVIEW
2019年3月4日 UPDATE

東 伸児さん

映画・ドラマ監督
  • 離れてわかる地元の魅力

これまでテレビドラマ「相棒」をはじめ様々な作品に携わり、現在、自身初の劇場監督作品「しゃぼん玉」が公開中の東伸児さん(姫島村出身)にインタビューしました!

 

現在東さんは監督として様々な作品に携わっていらっしゃいますが今のお仕事を目指された経緯を教えていただけますか?

大学に入るために東京に出て、入学前の期間が2週間くらいあったんですが、まだ東京に慣れてないときに、誰とも一言も話すことがなくて。だんだん気が滅入ってしまっていた時に街の方に出てみたんだけど、田舎出身の僕は時間をつぶす方法もわからなくて。

当時人気のコメディ映画が目に留まったので入ったら、すごく面白くて、久しぶりに声出して笑ったな~って、気持ちよく帰りました。そして翌日もまた同じ映画館行って、3日間で4回見ました。

2回目からは僕はもう見ててストーリー知ってるから、もちろん自分も笑うんだけど、みんなが笑うとなんだか優越感があって、もう嬉しくなってきて、監督気分だった。

当時はレンタルビデオなんていうのもなくて、インターネットもなくて、公開が終わったらもう見られなくなると思ってたから、好きな映画は都内の映画館を周って20何回見てたなあ。そうしていたら、サラリーマンじゃない何かをやりたいなあと思ったときに、映画監督をやりたいなあ、という、だいそれたことを思ってしまったという…。若気の至りで。笑

 

思ってしまったんですね。笑

なんとなく人にね、自分の思ってることを発表する仕事をしたいなという想いがあったんですよ。

 

姫島出身の方でそういうことをされてる方ってなかなかいらっしゃらないですよね。

変わってるんじゃないですかね。

姫島に育って高校までは船で通うわけじゃないですか。一人でどこかに行ったこともなくて。そこからいきなり東京で暮らすって、今考えるとよく暮らしてたなって思います。相当なハードルだったんじゃないかな。その中でなんか思ったみたいですね、当時の自分は。

そんな中で映画ばかり見てて、年間100本以上は見ました。そうしてたら、なんとなく映画かな、そういうのを目指してみてもいいのかなと思いました。

 

姫島に戻りたいなと思ったことは?

ないですね~。東京へ行きたくて仕方なかった。同級生の中にも漁師になりたくてなったやつもいるし、自分みたいに戻らないやつもいる。

淡路島出身の阿久悠さんがエッセイで、島で育った子供は、山に入って実を採る子供と、浜辺に座って、今日は何隻船が通ったと数えている子供の二通りに分かれる、そして船を数えていた子供は島を出ると書いていて。

典型的な船を数えていた子供だった僕は、毎日海ばかり見て暮らしていたような気がします。

なんの根拠もなく都会に出れば、何かが見つかると思ってましたね。

 

でも今こうしてご活躍されることで、結果的に姫島への貢献になっているというのが素晴らしいですよね。ありがとうございます。
次の質問ですが、今でもよく姫島にお帰りになることがあるんですよね。帰った時はどのように過ごされていましたか?

ぼーっとしてましたねえ。自営業なので、お盆とかに合わせて帰るわけでもないし、友達も平日は忙しいと勝手に思い、いつも誰にも連絡を取らず、やはり海を見て過ごしていました。休みが合わなくてあまり会えてなかった同級生もいたんですけど、今はSNSなんかも普及してね。同級生グループが出来たんですよ。

そこで同窓会開催の連絡が来たりして、明日飲み会なんですけど。笑

 

いいですね!ITの技術を活用して輪が広がってますね。
そうして姫島を離れてみて、たまに帰ってみて、改めて気付く姫島の魅力がありましたら教えていただけますか?

子どもの頃は、道歩いてたら知らないおばさんに「どこん子かえ(どこのお家の子?)」って声かけられたりね、そういう人間関係が嫌な時期もあったんですけど、今は帰ってきてそういうのがあっても、悪くないなって思いますね。今は都会だと、マンションの隣に誰が住んでるかもわからなかったりしますから。ずっと、フリーランスですからね。自宅では誰ともしゃべらない、大学入学前と同じように。笑

 

昔と同じなんですね。笑
自宅で映画監督のお仕事をされるということですが、それは姫島でも出来そうですか?

監督をやるとなると、やっぱり東京だなあ。

でも僕は「しゃぼん玉」という映画を撮ったんだけど、シナリオも担当したんですね。パソコンがあればシナリオだって書けるしビデオ通話だってできるし、そういった面では姫島にいてもできる環境になってきてるなって思いますね。倉本聰さんみたいに、富良野で俳優塾を作ったりシナリオライターを自然環境の中で育てて、演劇の稽古とかをしてる方もいらっしゃいますし、そういう可能性もある。

あとはもし人を呼ぶとしたら、「しゃぼん玉」もそうなんだけど、自治体がお金を出して映画を撮ったりして、地方創生につなげたり。まあこれは上手くいったりいかなかったりなのが現状としてありますけど。ロケ場所が聖地になって人がたくさん来たり、フィルムコミッションで場所を提供したりね。そういう街おこしもありますよね。

ネットが普及して、姫島を発信するチャンスも出てきて、すごいな~と思ってますけど、今どこでも色々やってますからね。

 

そうですよね。その中で違いを出すにはどうしたらよいと思われますか?

エッジの効いたものがあってもいいよな、と思いますね。メディアが飛びついて評判になるような。

姫島の盆踊りを久しぶりに見たら、ずいぶん大人しく上品になったな、という印象で。僕はサザンオールスターズが大好きでコンサートを観たりもするんですけど、昔の姫島の盆踊りにはサザンがやってる滅茶苦茶さに近いようなものも感じてて。パワーがあって、大笑いしながら見てたなと。外から見てて無責任かもしれないんですけど、上品なだけじゃなくてもっと猥雑なところを楽しんで、外からだめでしょ!と言われても、それでも自分たちはこうなんだ!と自信をもって堂々とやっちゃったほうが今の時代評判になるし、魅力的でおもしろいのになと思いますね。

 

確かに、そうかもしれませんね。
ちなみにこのインタビューを掲載するのは姫島の新しい魅力を発信する「姫島ITアイランド」という企画のホームページなのですが、今後ITアイランドに必要になってくるものがあるとしたら何だと思われますか?

例えば演劇をしてる人だったら、仕上げで20日間合宿で泊まり込みできる!みたいな場所があれば、何かを姫島で作りたい、という人は出てくるんじゃないかなと思います。姫島に来るってことは日帰りより泊まりになる可能性が高いので、自炊できて長期で泊まり込めるような場所を整備することが人を呼び込むためには優先事項なのかなと思いますね。

 

ありがとうございます。最後に、一言お願いします。

先程も言いましたが、ネット社会になり、姫島に居ても世界に発信できる時代になりました。自分の思っていること、感じていること、考えていることを、人に伝える仕事をしたいと、東京で今の仕事につきました。その大部分が、姫島に居ても可能な時代が来た。都会に出ることだけを夢見ていた、30数年前の当時の自分が、今の姫島を見たらどう思うのだろうか?と考えたりします。

浜辺に座り、船の数を数えなくても、世界に出て行ける時代になりました。

この島からも、新しい時代を生きる子供達が生まれるような気がします。

 

ありがとうございました!今後のご活躍をお祈りしています!

 

東 伸児さん プロフィール

1963年生まれ、大分県出身。1986年、国学院大学文学部卒業。1989年、日本映画学校卒業。 同年より、フリーの助監督として主にセントラルアーツ作品に携わる。助監督・監督補作品に、 佐藤純彌監督『私を抱いてそしてキスして』(92)、阪本順治監督『新仁義なき戦い』(00)、『KT』 (02)、『ぼくんち』(03)、『この世の外へ クラブ進駐軍』(04)、『亡国のイージス』(05)、 和泉聖治監督『相棒』シリーズ(081014)、等がある。 2008年、ドラマ「相棒シーズン7」で初監督。本作『しゃぼん玉』が、映画初監督作品となる。
(映画「しゃぼん玉」公式ホームページより引用)